東京オリンピックと体育の日
ちょっと雑学
東京オリンピックと体育の日
秋といえば…
秋といえば、「読書の秋」、「食欲の秋」、「スポーツの秋」、「実りの秋」、「行楽の秋」などなど。
今回のちょっと雑学は「スポーツの秋」にスポットを当てました。
「スポーツの秋」のきっかけは「東京オリンピック」と言われていますが、実際には1927年の新聞に使われていたそうですから、広めたきっかけが「東京オリンピック」なのではないでしょうか。
何故10月10日が開会式になった?
当初、開催期間の候補にあがったのは、5月開催案でした。
1958年5月に東京で開催されたアジア競技大会の際に、連日好天気が続いたことが理由です。
しかし、5月開催案はソ連や北欧諸国が反対。
8月案も浮上しましたが、「東京の蒸し暑さ」にイギリスが反対。
10月上旬までは秋雨前線が停滞することなどを考慮して日程が決められました。
結局10月開催が決まったのは1962年の6月のことです。
開催期間の決定だけでなく、当時もさまざまな開催に向けての関門があったようです。
では、開会式が10月10日になった理由は何だったのでしょうか。
「晴れの特異日」だったから?
「晴れの特異日だった」からという説が有力なのですが…。
そもそも「特異日」って何でしょう。
「特異日」という言葉は、過去数十年の天気の結果から、「晴れ」などの特定(とくてい)の天気が現われる割合が、その前後の日と比べてとても多かった日のことをさして使われています。ただし、はっきりとした定義はなく、調べたら確かに多いけど、なぜそうなるのかもわかっていません。
気象庁:「はれるんランド」より引用
つまり、単に「晴れ」の日ではなく、前後の日と比較しても「晴れ」が多いことが必要なのですね。
10月10日が臍を曲げた?
今回は、1920年から1961年の東京の降水量について調べてみました。
1920年から1961年までの42年間で、降水量0が20回、降水量1.0mm未満が4回、降水量1.0mm以上が18回(うち9回が10mm以上)。
うーん、「晴れ」か「雨」かの確率は、五分五分より少し良いだけという気もします。
ところがですね、1964年の東京オリンピック開催以降の10月10日について調べてみると、ハッピーマンデー制度により、体育の日が10月10日から10月の第二土曜日に変更になる前の1999年までの36年間では、1mm以上の雨が降った回数は、昭和41年(1966年)から平成11年(1999年)までの34年間でわずか5回なんです。
ハッピーマンデー制度導入、つまり10月の第二土曜日に変更になった2000年から2015年までの16年間では、降水量0mmが9回、1.0mm未満が3回、降水量が1.0mm以上が4回と、またちょっと微妙な確率となるんですね。
「10月10日」は、「晴れの特異日だった」のではなく、ひょっとして東京オリンピックをきっかけに「晴れの出現率が高くなった」と言えるのではないでしょうか。
そして、「10月10日」は、ハッピーマンデー制度により国民の祝日でなくなったことで臍を曲げたのではないでしょうか(笑)
10月10日東京の降水量一覧はこちら
「体育の日」がまたまた変わるって???
でも、本を正せば、「体育の日」は「スポーツの日」だったようなのですが…。
昭和四一年六月二五日付け法律第八六号をもつて、国民の祝日に関する法律の一部が改正され、国民の祝日として新たに「体育の日」が設けられました。
なお、同法附則により、スポーツ振興法で定められていた「スポーツの日」は「体育の日」と改められました。
文部科学省より引用
もしも「スポーツの日」と名称が変われば、国民の祝日としては、初めてのカタカナの祝日となりますね。
「体育」と「運動」と「スポーツ」の違いわかりますか?
国語辞典を引いてみますと…
体育:「体位」の向上を目的とする教育。
運動:からだを鍛え、健康を保つためにからだをうごかすこと。
スポーツ:日常の仕事を離れて楽しむ、諸種の運動・球技や登山など。
三省堂 新明解国語辞典 第七版より
と記されております。
「スポーツ」という言葉の適切な訳語としての日本語が存在しなかったために、
「スポーツ」=「体育」・「運動」
となった経緯があるようです。
辞書での意味や経緯からすれば、「体育の日」よりも「スポーツの日」の方がでもいいのかもしれませんね。
「体育」を英訳すると「physical education」ですが、「体育の日」は「Health-Sports Day」または「National Sports Day」となるそうです。
「体育の日」は「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」日ですから、「健康とスポーツの日」でいいのではないでしょうか。
「五輪」という表記は…
この「五輪」という表記は読売新聞記者だった川本信正氏がスペースを節約するために造り出したものです。
自然とオリンピックのシンボルマークを連想させます。
因みにシンボルマークの五輪は、左から青・黄・黒・緑・赤。
近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタン男爵が考えたもので、5つの輪は五大陸(アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オセアニア)の団結、さらにオリンピック競技大会に世界中から選手が集うことを表現しており、青、黄、黒、緑、赤の5色に、旗の地の白を加えた6色があれば、世界の国々の国旗がほとんど描けることから、この色を選んだのだそうです。
基本方針は「復興五輪」だった筈…
IOCが夏季五輪開催日を大人の事情(?)で7月15日~8月31日までと設定しているため(92年バルセロナ五輪から*)、暑さとの戦いになりそうな東京大会。*2000年シドニー五輪の9月開催は例外
1964年東京オリンピック開催の翌年には公共事業が激減し、「40年不況」と呼ばれる大型不況に突入し、戦後初の国債を発行しています。
新国立競技場建設問題・エンブレム盗作疑惑で始まり、肥大化する費用に伴う施設見直し、間接的ではありますが、豊洲市場移転問題など何かとお騒がせの2020年東京オリンピックですが、真の景気の回復、震災からの復興へと繋がること、そして秋日和であることを願います。